お題「仲良し」 「抱きつく」

 多数のベルトコンベアが置き去りになった広場を抜け、地下があることに気づいてピットまで降りてしまったのが運の尽きだった。中にいる魔物と懐中電灯の光の中で間一髪で渡り合い、退魔コンパスで安全を確認したまではよかったものの、工具でこじ開けた四角い進入口が開かなくなってしまったのだ。

 細い黒髪をセンターショートで切りそろえ、白銀の毛並みの獣耳と尾をもった白狼亜種・祈月清矢(きげつ・せいや)は、1メートル下から剣でがたがたと蓋を叩いたが、反応する者はなかった。

「やべぇな。ここには換気扇も通気口もない。早めに連絡しねぇと……」

 詠(よみ)の幼馴染であり、恋人でもある青年はそう言って愁眉を曇らせた。

 きっかけは、図書館で見つけた「BC遺跡散策ツアー」のビラだった。BC遺跡とは、ビフォアカタストロフ、つまりN2世界崩壊以前の建物で、現在放棄された廃工場などの施設を言う。魔素出現以前に作られた施設なので、物理演算に魔素係数を必要とする今となっては大規模生産には使えず、無用の長物として普段は閉鎖されている。当然、魔物が住み着き最悪の場合は人の入れない魔境と化している。まれに、マジシャンたるアルカディア魔法大学の学生からアルバイトが募られ、内部の調査と魔物の駆除が行われるのだった。

 一年年長のクリストフ・”アイフェン”・ホルツメーラーが散策隊のリーダーだ。清矢は獣耳にイヤフォンをつけ、テレパス通信を行って場所、人数、代表者名、キーワード、時刻、状況を報告した。入口にはベースが立てられ、随時情報検索を行っているはずだから、いつかは助けがくるはずだ。アルカディア魔法大運命塔の集合無意識監査室にも届けばよいのだが。

「清矢くんごめん、光量が少なすぎるって俺が気づいてれば……魔物、大丈夫かな」
「コンパスによればいちおう魔物は殲滅されてるみたいだ。仕方ない、しばしマッドティーパーティといこうぜ」

 頭上や背後を縦横にかけめぐる排水管に背を預けて、清矢が肩をすくめた。

 冷たい乾いたレーションを貪り食って、水筒にいれてきた砂糖入り紅茶を飲み、一息ついたその後、詠はどっと後悔に襲われた。まず、こんな場所を見つけたといっても、安直に降りていくべきではなかった。せめて他のバディと連携をとってからにすればよかった。真っ暗闇の中で魔物に襲われるなんてぞっとする話だ。冒険心が勝った選択は愚かなものだった。詠は清矢のそばに歩み寄り、白いレザーコートの戦衣の肩をおもむろに抱き寄せた。ぱちくりと清矢が瞬きする。

「詠? どうした……怖くなっちまったのか?」
「怖え。怖えよ、俺。清矢くんと一緒なのはいいけど、もし何かあったら……」

 退魔コンパスの精度には限界があるし、テレパス通信は受信側に大きな資質と注意深さが必要とされる、不安定な技術である。魔物の傷がもとになって、階段で転んで、ゴント山で遭難して……ひとが日常の裏側に落ちてあっけなく死ぬのは、毎日の新聞に欠かせないニュースだ。抱いた感触はレザーの冷やかさしかなかった。

「ん、詠……いい子いい子」

 清矢は憎いくらい落ち着いており、代わりにぎゅっと詠の鎧の胴を抱き返してきた。暗闇のなかでもわかる、相棒の気配。草っぽいさわやかな香りもする。デオドラントだろう。そうして詠の獣耳を搔き、頬の輪郭をさすって慰めると、リュックからブルーシートを出してコンクリートの床に引いた。

「座って休んでようぜ」

 詠はうなずくと、清矢と並んで座り込んだ。コォン……と何かの衝突音が響くのに神経を高ぶらせながら、暗がりに肩を寄せ合う。しっかりと握りこんだ互いの手が、唯一の温もりだった。世界の終わりというなら多分こんな光景だろう。その妄想は悲劇的な甘美に彩られたもので、詠は何度も清矢の頬にキスした。

 ――ただひたすら待つだけの時間が過ぎた。半日も過ぎたと思ったが、実際は太陽の加減からして二時間も遭難してはいなかったようだ。クリストフとハインリヒ、それにエミーリア・ヘクタグラムカースとドリス・メイツェンが心配そうに進入口からのぞき込む。ヘッドライトの丸い光に照らされて、詠は顔をしかめた。

「セイヤ大丈夫? ああいった地下には、二酸化炭素や有毒ガスが充満して中毒の危険性もあるって先生も言ってた。念のためディアしておこうよ」

 エミーリアが金色のポニーテールを揺らしながらぺたぺたと清矢に触れてヘルスチェックをしている。ドリスもバブル・ガムをくちゃくちゃ噛みながら隣から離れない。当の本人は、悪ぶった笑みを浮かべてピースサインをした。

「地下の魔物も根絶完了。ひょっとしたら俺たちが成果ナンバー・ワンだな」
「よく言うぜ。半分以上暗がりでイチャついてたくせに」

 ハインリヒが間髪入れずに茶々を入れる。否定せず詠に向かってウィンクした清矢を、エミーリアがとたんに平手打ちした。

「何やってんのよ、こっちは泣くほど心配したのに! ホント、セイヤってばあたしのこと水栽培のヒヤシンス程度にしか思ってない!」
「男同士で地下にしけこむ前に、レディたちを護衛しなさいよね」

 ドリスも鼻を鳴らして清矢の頬を人差し指ではじく。そもそもはじめから渋面を隠していなかった引率のシオン図書館長はとげのある声で聴き返した。

「そうですか。遭難物のラブストーリーを演じた結果でしたか。アーカイビング演習の平常点から十点引いておきます」
「ち、違いますっ、わざとじゃないですよ! 図書館長~信じてください~!」

 それまでの冷静さが嘘のように、取り乱した清矢が図書館長を拝み倒す。ベースキャンプは笑いで包まれ、調査はお開きになった。帰り道、罰ゲームで女子ふたりのリュックまで持たされた詠は清矢に謝る。

「清矢くんごめんな。俺のせいだ」
「自分を責めるなよ。俺は、詠とふたりっきりで嬉しかったぜ? あと信じてたし」
「俺も……清矢くんとならなんとかなるって、信じてはいたけど。でも結局待ってただけだし」
「んー、詠! じゃあ帰ったら、清矢サマのこと肌で慰めてね♡」
「や、やめろよ! まだエミーリアが聞いてるかも……!」

 清矢は進行方向を反転させ、サムズアップしながら詠に笑いかける。

「俺たちって最強のコンビだって、ちゃんとみんな分かってっから! これからも頼むぜ、詠~!」

 夕日がきらきらと輪郭を透かした。逆光でいたずらっぽく微笑む恋人の顔に、詠は馬鹿みたいに見とれてしまった。しかし図書館長も律儀なもので、学期末に発表された『アーカイビング実習』の成績は見事に点が差っ引かれていたというのが、この話のオチである。

(了)

※この短編は独立した軸としてお楽しみください