お題「星月夜」

 アルカディア魔法大学は新入生の入寮をひとしきり終え、後は入学式を待つばかりとなっていた。魔力選抜十二番通過の櫻庭詠(さくらば・よみ)は聖属性塔を出て、ちょうど学園都市中心部に位置するローク神殿付属・風属性塔に向かっていた。

 ベリーショートの短髪、きりりとした大き目の釣り目、涼やかな風情だが、体躯はがっしりとしている。ぴったりとした黒一色の戦衣に身を包んで、直剣を帯びている。

 朝の運動をかねて尾を振る勢いで駆けていく。ともに入学する祈月清矢(きげつ・せいや)を慕っての外出であった。もう一人、望月三郎充希も清矢のお付きとして入学する。詠はひとりだけ所属寮を離されてしまったのであった。

(清矢くん、清矢くん、清矢くん……!)

 余裕あるペースではなく息せききって走る。清矢と充希は昨晩、闇塔にて北欧軍事同盟パーヴァケックからの歓待を受け、日本勢の任務について仔細を話し合ったはずである。詠はその集まりに所属塔の違いから参加できなかったのであった。夜の禁足時間、抜け出そうとしたがクルセイダーに取り押さえられた。

 ちょうど、曰くの闇塔を過ぎたあたりだった。戦衣姿の清矢がひとり塔前にたたずんでいた。見間違うはずがない、詠は急いで寄って行った。黒いさらさらのレイヤーショート、黒目の大きい曇り眼。淡雪のような真っ白な肌に、赤みの差す唇。彼は美しかった母親に瓜二つと評判の雰囲気ある少年であった。

「清矢くん! 昨日は大丈夫だった?」
「話し合いのほうは平気だ。夜空は犯罪者……物品を返さなければ国際司法に訴えるところだった。王子殿下もおおむね納得してくれたさ。当人は幽囚の宮様といった風情だ。これ以上の追及は無意味だろうな。持ち出していた品は全て日ノ本に返された」

 きびきびとした高めの声が報告する。詠はうなずき、清矢の手をとって性急に歩いた。清矢はついてくる。行き先なんか考えてはいなかったが、ともかく敵である夜空のいる闇塔から離れたかった。

「……なあ、図書館に行かないか」
「俺たち入学前なのに使えるの?」
「学生証は発行済みだ。俺たちの国の現代史についてこの地にどれほど資料があるのか調査したい」

 清矢の母親の雫という女は、慎ましやかで内にストレスを溜めるタイプだったらしい。二重まぶたで長い睫毛。名前どおりの、視線を感じづらい曇り眼をした静かで風情のある女。詠の母親は、「豪華だった」という印象だけを語る。サファイアの首飾りがよく似合ったというひとは、清矢が幼い頃世を去った。詠はいつも清矢に見とれるたび、その佳人の幻視をしている気にもなるのだった。

 清矢は予定だけ言うと繋いだ手をするりとほどいてしまった。詠は仕方なく、となりに並ぶ。本当はいつだって自分が先導したいのだ。清矢くんは、俺と手をつないでたくないんだろうか。

 学生証を出して図書館に入ると、清矢は予定とは逸れて美術書の書架に向かった。分厚い図録を出して、見分している。ゴッホの画集だった。にじんだレンズでぼやかしたような大きな星々と黒い炎のような糸杉がむらむらと燃えている。タイトルは「星月夜」で、詠も見たことがあった。無論、留学前、清矢の部屋でだが。

「懐かしいな、この絵。お前が遊びにきたときに見た」
「うん……いかにも魔物が出そうな夜だ」

 清矢は画集を開きっぱなしのまま、窓辺にある閲覧席に腰かけた。デスクに本を置き、詠の肘を引く。何か密談かと察して縮こまった詠は、唇に軽くキスをされて驚愕した。

「清矢くん……! えっと」

 嬉しいという気持ちと、こんな場所でという戸惑いが入交り、詠は狼狽したが、大好きな清矢からのアプローチである。わくわくしながら見つめていると、清矢は捨て鉢に言った。

「ここでディープキスまでしたい?」
「……」

 詠は辺りを見回し、誰もいないことを確認するといそいそと誘いに乗った。舌を出すことはあったが、清矢が応えてくれるのは珍しい。ふっくらした唇を存分に味わったあと、差し込む気持ちで舌を出す。清矢も口を開けてくれ、意思をもって動くそこをわずかに絡ませあった。唾液がひどく刺激的な味だ。

「清矢くん! 大好きだ」
「……声量を落とせ。ほんとに、詠はかわいいな」
「かっこいい、だろ。馬鹿にすんなよ……!」
「俺、やっぱりお前とがいい」

 清矢はさらりと言った。詠は違和感をもった。居直って、じっと見据える。

「どういうこと」
「充希と同室だといろいろ危ないんだよ。男同士なのにイマイチ拒めなかったってのがよくない。お前とのじゃれ合いで慣れ過ぎた」
「は? 何それ。正直に全部言って」

 詠は本気で凄み、清矢の肩を掴んで詰め寄った。何でも昨晩、パーヴァケックとの会合で酔った充希が帰投後に清矢に「けっこう過激にキス」してきたらしかった。

「どうして嫌だって避けなかったんだよ!」
「なんかいきなりでどうしようもなかった。ごめん。嫌なら別れていいから」
「あのさ、そんなことしたら清矢くんのこと充希にとられるだろ!」

 小声でささやきながらの痴話げんかだった。天国からいきなり地獄へ突き落されてしまった。詠は耐えきれずに椅子に座っている清矢を思い切り抱きしめた。顔に荒く頬擦りしてめちゃくちゃにキスしまくる。ディープなんかより、自分のものだと何度もマーキングしなおしたかった。密室だったらこのままヤってるのに! 怒りと悔しさでおかしくなりながら、いつも誘ってやまないほの白い首筋に、ぐっと本気で噛みついてやった。

(了)

※この短編は独立した軸としてお楽しみください