愛の星々

 故郷、クイーンズアイランドのミルヴァイルから戻ってから、ちょうど一か月が経った。夏は盛り、小麦は実る。

 空きコマができて寮の個室に帰ってきたウィリアム・エヴァ・マリーベルは窓際に見慣れない紙細工が下げられているのに気が付いた。色紙を切って作ったモビールである。星型に切ったオーナメントの下に、細く鋏を入れた黄色と桃色の尾がついている。藍色の網には、魚や星をかたどった手作りのビーズがつけられていた。

 それらの飾りは窓際の天井付近に、テグスを張って吊り下げられていた。窓を開けると、雲のない澄んだ青空のもと透明な風にゆれる。ウィンドチャイムでもあれば完璧だったろうと思いつつ、ウィリアムはなびく飾りに指を伸ばして軽く触れてみた。

 アルカディア魔法大学には欧州以外の人物は少ない。極東の風習かと疑問に思っていると、葉兄妹とともに夜空が連れ立って来た。大麗国からの留学生である二人はモビールを喜び、あれこれくにの言葉で話し合っている。

 ウィリアム・エヴァ・マリーベルは東洋の友人たちに尋ねてみた。

「これは何だ? 極東のしきたりか?」
「明日は七夕よ。情人節、バレンタインデーのようなもの」
「違う、牵牛星と織女星の逢引の日だよ。宮廷付きの機織り女と牛追いが結婚してから仕事を怠けたので、怒った天帝が年に一度しか逢瀬の許しを出さなくなった、という伝説なんだ。民衆におもねって恋人の記念日だなんて答えたらワタシが疑われちゃう」

 デスクの主の夜空も余った色紙を短冊型に整えながら付け加えた。

「こちらでも同じ言い伝えだね。星祭りで、お願い事を書いた短冊を飾るんだ。はい、海英の分。習い事の上達を願うといいみたいだよ」

 夜空が縦長の短冊を海英にすすめる。海英はいつも持ち歩いている筆を取り出して精神統一まではじめた。カッと目を見開くと、『衷心祝愿您全家平安』と骨太な筆致で連ねる。

「ありきたりだけど故郷の一族たちの安寧を祈るよ」

 勝手知ったる態度でデスクチェアに坐りこんだ妹の貞苺も赤い短冊を持って唇を引き結んだ。

「……素敵な情人ができますように!」
「そんなことは天帝だって許さない」

 貞苺は兄のお咎めなどどこ吹く風で、堂々と自分の欲求を書く。「葉貞苺」と署名までしていた。夜空は軽口をたたく。

「貞苺について聞いてくる男子、けっこう多いよ。ボーイフレンドぐらいすぐにできるんじゃない?」
「本気で恋がしたいのよ。単に遊ぶだけじゃなくってドキドキしたいの。ねえ知ってる? ノエーミ、ナイジェル先輩と付き合ってるんだって。彼ってセクシーよね、しょうがないけど、先越されちゃった」
「あ・り・え・な・い! ノエーミは好きにすればいいけど、お前はダメ!」

 夜空は笑いながらも二人の短冊をテグスに結び付けていった。今度は横長のメッセージカードを取り出して、ウィリアムに差し出してくる。

「ウィルも書きなよ。せっかくだし」

 貞苺は訳知り顔でウィンクする。

「何かないの? ロマンチックなメッセージとか」

 闇属性塔の同級生たちに夜空たちの仲は知れていた。夜空は秀才らしく付け加える。

「遠い昔は梶の木に和歌を飾っていたみたいだよ。『The tale of Genji』は知ってる? その時代の和歌集に書いてあった」
「古代の人々は明日の祭りのためにポエムを書いていた……ということか」
「そだね、だから別にロマンチックな内容でもかまわないと思うよ」
「……分かった。では、夜空もそれで頼めないか?」

 ウィリアムは恋人をじっと眺めてリクエストした。夜空は目を丸くして聞き返す。

「『ウィルとずっと一緒に暮らしたい♥』とかじゃなくて?」
「詩にしてほしい。私もそうするから」
「むずかしいこと言うなあ。詩だなんて。作ったことなんてほとんどないよ……」
「シューベルトが曲をつけたくなるような名作を期待してる」

 ――ウィリアムはその日、授業後にサロンで苦心して十四行詩を書き上げた。タイトルは『Tender Night』、夜空の美をそのとおり宵闇にたとえ、その帳が愛撫のごとく自身を包んで眠りの世界に溺れさせていき、夢幻の安らぎを与えるという、甘たるい内容であった。もちろんカードには書ききれず、便箋に清書まですることと相成った。結局、カードには「コラールの独唱が上達しますように」と書くことになった。

 夜空の詩については明日までのお楽しみだ。

 ところが、七夕の風習について聞きおよんだ寮友のクラウス殿下がこう言うのだ。

「予も東洋の祭りに参加してみたい」

 王子殿下による鶴の一声で、モビールは飾りを作り足して五階サロンへと動かされることになった。下級生たちも駆り出され、紙を星のかたちやハートのかたちに切り抜いたコースターや、リボンなどが華を添えた。願い事を書くだけというお手軽さもウケがよく、上級生は「単位がとれますように」「彼女ができますように」「食堂のA定食のメインがビーフになりますように」「王宮への就職が決まりますように」「お金持ちになれますように」と素直すぎる欲望をぶちまけている。

 中には「佐野先生が僕の留年をとりやめてくれますように」という個人宛てメッセージまであった……闇塔のマスター・ウィザードことヴラド伯爵がジュリエッタ教授と深刻そうに相談している。

 夜空はといえば、「医者になれますように」と書いていた。彼の四角四面な筆致は見慣れている。ウィリアムはがっかりした。これなら「『ウィルとずっと一緒に暮らしたい♥』」のほうがましだった。どうせ、同性愛だからと二の脚を踏んで、寮生や教授の目に触れてもよい無難な内容にしたのだろう。

 たしかにウィリアムも歌の上達などという他愛無い願い事をした。けれど、夜空には外聞もなくのろけてほしかったのだ。自分は彼を所有しているという確かな優越。みんなに冷やかされ、からかい交じりであろうと仲を承認される陳腐な安心感。それが欲しかった。

 教授たちからたまたまフルーツポンチと酒の差し入れがあって、七夕の祭りをパーティと勘違いした皆はサロンで遅くまではしゃいでいた。

 帰ってくると夜空が待っていた。宴には参加しなかったらしい。ウィリアムがドアを開けると、サロンからくすねてきたジンフィズのグラスを手にくるりと振り返った。

 窓は開け放たれていて、宵の風が入ってくる。鉱物ランプが夜空の輪郭を照らす。うすぼんやりと輝く長髪の男……まるで端正な切り絵のようだ。

 先ほど覚えた身勝手な憤りは隠して、ウィリアムは抽斗からソネットをしたためた便箋を取り出し、夜空に押し付けた。夜空もポケットからカードを出して渡してくれた。そこには、天山のことばと英語とで、愛が綴られているはずであった。ウィリアムはむさぼるように読んだ。

『天の御使い
僕はいつも君をそう錯覚している

草の葉を結び 砂漠の天幕に宿り
異郷の島にたどりついた僕は
かぐわしき命を嗅ぐ
君は僕を抱き起こし「福音」と名乗った
それは不穏の誕生をみちびき
やがて頌歌へとつづくだろう
ただそばにいてくれるだけで
僕は毎日でも泣けてしまう』

 夜空ははっきりと言った。

「君は僕の希望だよ」

 確信に満ちたことばは頼もしく、ウィリアムはすべてを浄化されたような気持ちになった。恋人同士の甘い睦言以前に、二人には友情という道すらも開けているのであった。ウィリアムはライムの味がする唇に自らのそれを重ね、訴えた。

「――天使だなんて言われるのは好きでないんだ。私はどんな者とも変わらない、罪深き生き物だから」

 夜空はうなずき、ウィリアムと肩を並べて窓から外を見る。夏の夜のさわやかな香り。

 用意してあった星座板をとりだして、七夕の主役であるベガとアルタイルを探した。永久に繰り返される離別と一晩きりの約束は、史上すべての恋人たちにあてはまる。たとえ一緒に住んでいても、離れている時間のほうが少ない二人なんて、めったにいないだろう。だからこの伝説は普遍的に人々の胸を打つのだ。夜空はハープをつま弾いて歌う。輝かしいその旋律は、天山(テンシャン)の童謡であるという。ささのはさらさら、のきばにゆれる、おほしさまきらきら、きんぎんすなご……ウィリアムは全てを脳裏にとどめようとした。酒の酔いも黒髪の艶も、凛とした声も骨ばった指も。

 歌が途切れると、両手を互いに組みあわせ、鏡像のように向かい合ってキスする。それは確かに、至上の時。

 バックヤードの星光もこの日ばかりは愛を歌い、崩壊後を生き延びたデミ・ヒューマンすべてを祝福していた。

(了)

夜空の言ってる「源氏物語の時代の和歌集」は『後拾遺和歌集』で、「天の川とわたる舟のかぢの葉に思ふことをも書き付くるかな(上総乳母)」というものです。岩波文庫解説によると、当時七夕には、梶の木の葉に和歌を書いて供える風習があったそうです。