お題「ワイン」「大人になんてなりたくなかった」

 時は七月、時刻は四刻半。アルカディア魔法大学闇属性塔ではクラウス第一王子殿下の発令により特別賓客室にて会合が行われていた。列席者はロンシャン亡命者である草笛・K・夜空、そして彼の留学時からの道連れである大麗官吏・葉海英、そしてクラウス殿下自身と、新入生のトピアス・シルヴァノイネンとイシュトバーン・ラヨシュであった。日ノ本よりは夜空の同腹の弟である祈月清矢及び同格と目された望月『三郎』充希が同席していた。彼らも今年の新入生であった。

 策謀もできるということを側近の臣に見せつけたいクラウス第二王子が杯を上げる。グラスに給仕するのは海英の妹、貞苺。大麗留学生はふたりとも漢服であった。

「ありがとう、姑娘」

 ひとりだけ貞苺に礼を言った望月充希(もちづきみつき)は小袖に袴を合わせ、親密な笑みを浮かべてみせた。シャギーショートで軽快な空気をまとっている男だが、体躯は鍛えられ大柄だ。一方祈月清矢は母譲りの曇り眼の美貌のまま、冷たいまなざしを実兄に送っていた。服装は剣鞘だけを外した白色レザーの軍装で、その背には黒い新月紋が染め抜かれる。白狼族の獣耳には月桂樹の葉を模したパールとダイヤのイヤカフが輝く。正式な祈月当主であり、次期軍閥のトップで、亡き母堂・草笛雫の愛息たることを兄・夜空に対して誇示した装いであった。

「祝杯のち、入学前の家督争いについて余にも得心いくよう教えてもらいたい」

 クラウスが身を乗り出す。夜空は幽囚の宮様といった風情だ。充希は強気にほくそ笑んだ。

 臣籍降下した四代目でもあるまいに何を貴族ぶってるんだか。ルーシャンからの護身用の決闘禁止が成ったら、次はこの手の策略開始ってワケ。本当にやりたいのがあのルーシャンからの新米軍人たちでないなら、虎族の王子様の器量も知れたってものだけど。

 乾杯の号の後、諸人がグラスに口をつける。清矢は赤ワインに口もつけず、掲げるだけで卓に置いた。流れるごとき金の長髪に深い緑色の瞳をしたトピアス・シルヴァノイネン――灰狼族で非常に見目麗しい水塔新入生が近寄ってきて清矢の肩をやんわりと抱く。

「セイヤ、食前には胃を温めないと」
「酒はたしなまないので」
「ふうん? 同じボトルから注いだのに?」

 クラウス殿下と同じく反ルーシャン軍事同盟・パーヴァケックからの暗殺を警戒するなとの柔和な命であった。充希は素早く自分のグラスと清矢のそれを入れ替える。清矢は目配せを送り、それでもかたくなに口をつけなかった。

「辺境のアルカディアでトカイワインを味わえるなら余は充分だが」

 クラウス殿下はガウンなしの軍服姿でワイングラスを傾けながら鷹揚につぶやいた。清矢は入試後から何度も繰り返してきた簡潔な英語で十一歳当時の夜空による家督相続のための姑息な家宝盗難を糾弾しはじめた。

 風属性塔に戻るころには時刻は五刻ちょうどを回っていた。ローク神殿の巫女と神官による晩課も終了しており、あと四半刻もすれば消灯時間だ。同室に戻った充希は清矢のベッドに並んで座り、軽口をたたいた。

「旨い赤ワインだったよ、食事は手作りだったし」
「すべてハンガリアが用意したものだ。あくまで夜空を庇護するなら歓待を受けるわけにはいかない。すべての家宝を奪い返した今、用済みの夜空が北欧にまで高跳びしてくれるなら、そのほうが都合がいいんだが」
「カネかけてくれたロンシャンからも抜けるだなんて、夢想的見解」

 充希と清矢はじっと互いの瞳を見やった。灰狼と白狼、垢ぬけた印象の二人が向かい合う。眼光相通じ、充希がいきなり清矢の後頭部を鷲掴み、荒々し気にキスする。清矢は身を固くしてそれを受ける。舌まで出して唇の合わせ目に割り込ませると、意外にも応じてきた。たっぷり絡ませたあと離れる。きれいにメイクされたベッドに肘をついた清矢は乗り気だったくせに、愕然とつぶやいた。

「充希は俺のボーイフレンドじゃないだろ……!」
「ワインを味見しただけだよ。俺も詠(よみ)ちゃんとモメまくりたくないし。あっちがやる気なら、あのゲイっぽい従者にこういう調略もかけなきゃダメかもよ、なんたって清矢サマだって水際立ったイケメンだし♥」
「性的同意年齢は越えたってわけか。大人になんてなりたくなかった」

 吐き捨てる清矢を慰めがてら肩を抱いて、充希は酔いのままに押し倒したい気持ちを抑え着替えに移った。新月刀と望月刀の所持者こと祈月・望月ペアでの初の海外任務は「夜空誅殺」。窓から見える月はちょうど十三月齢であった。

(了)

※この短編は独立した軸としてお楽しみください